子育ての話

昨日は子供が急に高熱を出して、病院に連れて行くので急遽在宅勤務に切り替えました。
子供も学期末試験が控えているので授業を休めないところですが、前の晩から38度台の熱
が続いてたのでそうは言ってもいられません。でも、朝食からベッドの上で取れるし(娘
の病気のときの楽しみのひとつ)、のどが痛そうで食欲も出ないので、少しでも食べたいも
のを食べてもらおうと、娘の好物を買ってあげ、いつも忙しい母が1日付き添っていたの
でたまに病気になるのもまんざらでもなさそうでした。

病院の待合室で新聞を読んでいると、奈良の医者の家庭で長男が放火した事件を報じてい
ました。父親が医者になるために相当なスパルタ教育をしていた様子。その高校生は、放
火して家族を死なせてしまって取り返しのつかないことをしたと思うけど、親の過度の期
待によるプレッシャーで、人生をリセットしたいと思うくらい追い詰められていたことは、
かわいそうな気もします。

* ****************

姉が中学生の時、学校で家庭環境のアンケートがあってその結果を書いたプリントを見せ
てくれたことがありました。「ここを見て」と姉が指をさしたのは、「子供にどんな大人に
なってほしいか」という質問。多かった上位3番までの回答が書いてあって、「まじめな人」
「優しい人」「努力する人」など・・・姉が見せたかったのは、欄外に書かれていたこんな回
答もありましたといういわゆる珍回答(?)。「うちのお父さんが書いていたのがここに載
ってる」と言ってさしたところにあったのはなんと「凡人」。「子供に何にも期待してない
のね〜。がっかりしちゃう」と姉は言ってましたっけ。

娘ができたとき、私は仕事が面白くなってきたときで、当時は新聞社で働いていたので早
番、遅番のシフトがあり(遅番だと帰るのが確か夜中の2時頃)、妊娠したと知ったとき最
初に思ったのは「困った」。私は皆と同じ条件で働きたかったので、妊娠したことは会社に
黙って遅番もやり続けようと思いましたが、夫は大反対。仕事は続けて構わないけど、遅
番だけは胎児に影響するから辞めてと懇願され、泣く泣く遅番からはずしてもらいました。
当時は育児休暇などという制度もない時代。出産休暇も通常、予定日の6週間前から8週
間後までで職場復帰です。もちろん産後職場に戻っても、ゼロ歳児を抱えながら遅番もこ
なして皆と同じ条件で働くことはできず、それはイコール、同僚から出遅れることを意味
しました。

子供がいるということは、当時、職場で働き続けるうえでは大きな障害でした。同じよう
に働きたい、チャンスをつかみたいと思っていた私が挫折感を度々味わったのは、子供が
できてからでした。一方で、子供はそのあどけない笑顔で、無邪気な行動で、たどたどし
いけど計算のない言葉でどれだけ私を幸せにしてくれたことでしょう。家から会社に直接
行っても1時間15分はかかりますので、延長保育にしても保育園が開いてから職場に向
かうのでは間に合わない。保育園は実家のそばに入園させて、朝早く15分かけて車で実
家に向かい、そこで子供を預けて、実家のそばの駐車場に車を置いて、電車で会社へ。娘
は実家のおばあちゃんが保育園に送り迎え。会社が終わると実家の最寄駅まで帰って、実
家から子供を引き取って車で帰宅。家のそばの駅の方が職場にずっと近いのですが、そう
いう回り道をして片道2時間かけて毎朝6年間娘を保育園と実家に預けて通勤しました。

前にも書きましたが、私は娘が3歳のときに離婚して、慰謝料も養育費ももらわなかった
ので、経済的に常に自分ともう一人を養っていかなければならないという重荷を背負って
いました。でも、それらすべての面倒を抱え込んでも、子供は仕事から帰って迎えに行く
と母親の顔を見た瞬間、うれしそうにちょこちょこ歩いてくる。それだけで仕事での疲れ
も、悩みもぱっと吹き飛ばしてくれました。小学校に入学すると朝バス停まで一緒に歩い
ていって、そこから私はバスに、娘はその先の学校に歩いて行くのですが、バスが車での
間、学校に歩いていく娘の後姿を毎朝ずっと見つめていました。愛するものを飽きず眺め
るというのは最高の癒しですね。

なので、私も親になって自分の子供がどんな大人になって欲しいかと言われたとき、ただ
一言「凡人」と書いた父の気持ちが分かるようになりました。特に立派で優秀である必要
もなく、何かに秀でて世間の注目を集めてもらう必要もなく、周囲にたたえられるような
職業についてもらう必要もなく、子供が成長して、一介の社会人として自分の足で生きて
いけるようになってもらえればそれだけでいい・・・子育ては成績のいい子に育てることで
も、一芸に秀でた才能を育てることでも、一流の学校に入れて一流の企業に勤めるように
育てることでもなく、まずは一人の社会人として、世間に迷惑をかけることなく、自分の
力で独立して生きていけるように育てることだと思うのです。もちろん、そのうえさらに
と子供に期待して育てたい人はそれでいいでしょうが、最近の問題の多くは、成績がいい
とか、有名校に入れるとか、そんな「余計な」ことを優先して、まず、大人になったら、
一人の社会人として親から独立して生きていけるという基本的なことをおろそかにしてい
るのではないでしょうか。

子育てはまさに手放していくことです。赤ん坊のときは四六時中親がお乳をあげたり、お
むつをかえたりしないと生きていけないとっても手がかかる生き物を、自分の足で立ち上
がり、巣立っていくようにすることです。鳥がひなにえさをやり、敵から守り、そしてい
つか成鳥になって飛んでいくことを教えるように。大事に大事に手塩をかけて育てた自分
の子を自分から巣立っていかせるために自分だけで羽ばたいていけることを必死になって
覚えさせる。巣立っていくことをまず先に教えないで、自分が望む学校に行かせ、自分が
望む職業につかせ、自分がこれが立派な人生だと思い描くような道を進むように育てるの
は子育てではありません。自分の夢を子供に押し付けているだけ。自分の夢は人にかなえ
てもらうのでなく、自分でかなえるようにしないとつまらないですね。