フェロー・アカデミーの講義終わりました

7月から隔週1回、全4回で始まったフェロー・アカデミーでの短期集中講座「翻訳会社が徹底指導! 金融翻訳トライアル合格への道」が昨日で終了しました!
金融翻訳を教えることはこれまでも通信講座で翻訳者を養成してきたので経験してきたこととはいえ、テキスト作成が大変でした(汗)
なるべく新しい話題を盛り込みたい、金融翻訳者として知っておかなければいけない専門用語が数多くある中でどの言葉を入れようか、生徒さんのレベルや経験もばらつきがあるだろうから、いきなり難しすぎるものでもいけない、でもプロを目指す方向けの講座だから簡単すぎてもいけない・・・などなど。
そして1回100分という時間の制約!あれもこれも教えたいのだけど、100分では収まり切れないんですよね〜。で、授業時間が延長することもしばしば。それでも「延長はなるべくしないで下さい」とスクールさんからの要請があって時間通りに講義をまとめる難しさ。

でも、一番嬉しかったのは、内容的にはかなり高度だったと思うし、説明仕切れなかったことも多々あると思うのですが、当初申し込んでくれた13名の生徒さんのうち、10名もが最後まで課題を提出し、授業に参加してくださったこと。最後のトライアル模擬テストでは皆さんに何らかの上達が感じられたこと。

「金融翻訳って難しいんですよ。でも、やればやるほど興味深い内容だし、翻訳者として挑戦しがいのある分野なんですよ。金融翻訳者は能力のある人はきちんと評価されるし、面白いと感じるのであれば、是非プロを目指して私たちの仲間になってください」って、このメッセージだけを伝えたくてこの講座を引き受けたのですが、生徒さんのやる気が伝わってきて、こちらも毎回の授業で気を抜けないぞと、気がつけばあっという間の4回の講座でした。

講座の開設してくださったフェロー・アカデミーさん、また企画から講座準備のサポートをして下さった担当の濱野さんありがとうございました。そして受講生の皆さん、お疲れ様&ありがとうございました。皆さん、今後金融翻訳のプロを目指すなら、必ずまた再会できることと思います。今後の頑張りとご活躍を楽しみにしています!

1Q84 - 金融翻訳者からみると

今日、書店に行くと村上春樹さんの「1Q84」が店頭に積まれてありました。発売当初は予約でしか手に入らないと言われていた本ですが、やっと書店で買えるようになってきたようですね。この本は、発売までその内容が一切明かされないという効果もあって話題になったようですが、そのタイトルの意味は私の周囲でも度々話題に上りました。ただ、私たち金融翻訳者から言うと、「1Q84」といえば、即「1984年第1四半期」と解釈してしまう。つまり「1Q」は「1st quarter(第1四半期)」で「84」は「1984」の略というわけです。もし「1Q」が「1H」であれば「上期、上半期(1st half)」ですし、「84」が「FY84」であれば「1984年度(Fiscal Year 1984」とう意味になります。

このように金融翻訳にはすごく略号が多い。金融翻訳の初心者が最初に戸惑うことは、その略号の多さではないでしょうか?もちろん英語自体、言葉の頭文字で略号を作ることをよくする言語なので、ニュースでもよく報道される略号、例えばFRB(Federal Reserve Board「連邦準備制度理事会」)とか、FOMC(Federal Open Market Committee「連邦公開市場委員会」)などは金融翻訳者でなくとも分かっている人が多いと思いますが、このようによく目にする略号以外にほんとうに数多くの略号が使われています。

例を挙げますと、
capex = capital expenditure 「設備投資」
SME = small & medium enterprize 「中小企業」
LTM = long-term 「長期」
QME = quantitative manetary easing 「量的金融緩和」…
など、限りありません。

この略号を覚えるのも金融翻訳者の重要な仕事。金融翻訳の仕事を始めた方はどうか略号に戸惑わないで、頑張ってひとつひとつ丁寧に覚えていってください。ある程度なれてくると、初めて出会う略号でも文脈などから大体何の略なのか推察できるようにもなりますよ。

リーマン…その後

さて、リーマンショックの後はどうなったかについてお話しましょう。
我々自身にとってもポジティブサプライズ(良い方に予想が外れること)だったのは、その後しばらく通常より忙しい日が続いたことです。私たちにとってリーマンショックは現実に納品した仕事のお金を払ってもらえるか以上に、この影響が金融業界全体に広がって、今後不況に陥り、金融翻訳の仕事も少なくなるのではないか、という不安の方が大きかったと思います。

しかし、実際には仕事は増えたのです。金融翻訳を専門としている弊社の例でいいますと、私たちが受ける仕事のほとんどが、外資系金融機関が投資家向けに出す調査レポートです。それは単発で出るものもありますが、通常はデイリー(月〜金の毎日)、ウィークリー(週1回)、マンスリー(月1回)、クォータリー(四半期に1回)というように定期的に出されています。ただし、何か特別なイベントが起こり、それが金融市場にも影響を及ぼすと考えられるとき、それについての臨時のレポートが発行されます。リーマンショックはまさにその特別なイベントでした。歴史も古い大手証券会社の突然の破たんで、金融不安は一気に広がりましたが、大手他社はこぞってそれが金融市場に及ぼす今後の影響についてのレポートを出したり、自社の状況は大丈夫であると投資家の懸念を和らげるようなコメントを出したので、通常の定期の仕事に加え、我々は単発で飛び込んでくるこのようなレポートの翻訳にも対応しなければならなくなりました。

例年、クリスマス前になると欧米系の金融機関はホリデーシーズンに突入し、そのころから年明けまではレポートを書くアナリストやエコノミスト、ストラテジストなどは長い休暇に入ることが多く、レポートも少なくなります。9月半ばに起こったリーマンショックは、その直後からその年の12月のホリデーシーズンに入るまで、私たちを例年以上に忙しくさせたのでした。

リーマンショックがやってきた

昨年9月16日の朝、連休中の多くの仕事を数時間前に納品し終えて短い睡眠から目覚めた私は、普段と変わらない朝を迎えたつもりでテレビの電源を入れました。
最初に飛び込んできたのは「リーマン破たん」のニュース。私は一瞬わけが分からず固まっていましたが、次の瞬間、会社の経理を担当している夫を起こしに2階に駆け上がりました。
リーマンの財務状況が悪化しているのは分かっていましたが、サブプライム問題で米国の金融機関はどこも業績が悪く、インベストメントバンク投資銀行)とも呼ばれるあの巨大な証券会社をそのまま破たんさせるとは思ってもいなかったのです。その前にFRB(米連銀)が救済に動き、ベアスターンズのように他の大手金融機関に買収されるなり、吸収されるなりすると思っていたのです。
「あのリーマンが破たん?そんなはずがない」というのが正直な気持ちでした。なぜなら、つい数時間前、毎週末弊社が請け負っているウィークリーレポートの翻訳を納品したばかりなのですから。
まだ眠っていた夫を起こすとまっさきに言いました。「リーマンが破たんした。うちはどれだけ売掛が残っている?」

私たち金融翻訳に携わっている者は、世界を揺るがすような経済や金融に関する大きなニュースや情報にいち早く触れられることが多く、それら生のホットな情報を真っ先に読み、翻訳し、待ち望んでいる世界の投資家に発信するという役割を果たせるのは金融翻訳者冥利に尽きるところがあります。しかし、今回のリーマンショックは、我々にとって世界を揺るがす情報を得る前に、そのうねりに直撃されたという滅多にない事件でした。

この度、ブログを大幅に改定し、金融翻訳とはどういうものか、金融翻訳者はどのような生活をしているのか、金融翻訳のプロになるにはどうしたらいいのか、ということから、私が14年前に金融翻訳専門のこの会社を立ち上げたときの状況、そこから現在に至るまでを、金融翻訳者を目指す方、金融翻訳に興味がある方、あるいはまったく金融翻訳について知らなかった方にも、面白く読んでもらえるように書いていきたいと思います。

忙しいときは

個人の暮らしのレベルでは景気が良くなってるという実感はないんですが、今年も年明けから仕事はすごく忙しいです。
納期に追われていると仕事はなかなかはかどらないのに気持ちは焦るばかり。こういう時こそせめて心を落ち着けよう
と気をつけていることがあります。それは過ぎちゃった時間について悔やむのは止めようということです。

忙しい時に一番焦るのは、例えば寝過ごしちゃった、ちょっと一息と気分転換にテレビのスィッチを入れたらサスペンス
ドラマをやっててつい最後まで見ちゃった。午前中に片付けてしまおうと早起きしたのについダラダラ過ごしちゃって、
気付くともうお昼になっちゃう、等々。そういう時はすごく焦るし、後悔します。でもこの世の法則というか、何を持っ
ても変えられないのは失った時間を取り戻すこと。今、与えられてるのは何時までにやらなければならない仕事と今から
使える時間ですから、二度と手に入らない無駄に過ごした時間のことはさっさと忘れてこれからの事に気持ちを集中させ
る方が得です。

これは学生時代から試験直前になって「昨日からやっとけば良かった」と何時も後悔した苦い経験から学んだこと。(笑)
といってもこれは追い詰められた時に何とかして乗り切ろうという苦肉の策で、やらなければいけない事があったらさっさ
と片付けちゃうに超したことはないんですけどね。

手帳を買いました

今日、書店の店頭で見かけて「夢かな手帳」というのを思わず買ってしまいました。
「夢かな手帳」。そう文字通り夢がかなう手帳です。

昔は手帳というのをほとんど使いませんでした。
手帳にメモしておかなければならないような用事はすべて覚えていられたからです。
最近は年齢のせいもあり(?)記憶力に自信がないのもありますが、やはり会社をやっていると予定が増えて・・・でもそれ以上に行動プランというのでしょうか、いつまでにこれをやらなければならない、あるいはやっておきたいということを書いておかないとついつい放っておいていつまでもやらない用事が増えてしまう。用事ならまだいいのですが、忙しい、忙しいと言っているうちにどうしても「やらねばならない事」に追われて、「やりたい事」が後回しになってしまうことが多いのです。

仕事の締め切りなど「やらねばならない事」に比べ、締め切りはないけど「やりたい事」というのは自分個人の夢に関わることが多い。目の前の仕事は大事ですが、長期的に自分の人生を展望して、自分のやりたい事、夢というのは本当はもっと大事です。いわば自分の心、魂への栄養です。仕事ももちろんますます頑張って会社を育てていきたいのですが、自分個人のために時間を使いたいという気持ちも年齢とともに大きくなってきているのです。

それで最近は手帳を活用していて3冊同時に使っています。一つは実際に決まっている予定を書き込む手帳。人と会うとか、ミーティングとか。もう1冊は普通のノートの一番小型版に日々の行動プランをずらずらと書いて、実行したら消していく手帳。もう1冊は長期的に個人的にやりたい事とそのためにやるべき事を書いてあります。でも、3冊をいつも持ち歩くのは大変。それで今日ふと本屋さんの店頭に積まれてあった手帳にひきつけられたのです。

夢を強くイメージすると実現するとよく言われます。イメージに植えつける方法は色々とあるのでしょうが、私は書いておく方法を気に入っています。一番いいのは、何ヵ月後、何年後かにふと振り返って、こういう事をしたいと思っていたのだとか、それがどれだけ実現されたのかを確認することができるからです。それからプランを達成できたら、夢が実現したらそれを消していくときもまた嬉しい満足感を味わえますから。

子育ての話

昨日は子供が急に高熱を出して、病院に連れて行くので急遽在宅勤務に切り替えました。
子供も学期末試験が控えているので授業を休めないところですが、前の晩から38度台の熱
が続いてたのでそうは言ってもいられません。でも、朝食からベッドの上で取れるし(娘
の病気のときの楽しみのひとつ)、のどが痛そうで食欲も出ないので、少しでも食べたいも
のを食べてもらおうと、娘の好物を買ってあげ、いつも忙しい母が1日付き添っていたの
でたまに病気になるのもまんざらでもなさそうでした。

病院の待合室で新聞を読んでいると、奈良の医者の家庭で長男が放火した事件を報じてい
ました。父親が医者になるために相当なスパルタ教育をしていた様子。その高校生は、放
火して家族を死なせてしまって取り返しのつかないことをしたと思うけど、親の過度の期
待によるプレッシャーで、人生をリセットしたいと思うくらい追い詰められていたことは、
かわいそうな気もします。

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姉が中学生の時、学校で家庭環境のアンケートがあってその結果を書いたプリントを見せ
てくれたことがありました。「ここを見て」と姉が指をさしたのは、「子供にどんな大人に
なってほしいか」という質問。多かった上位3番までの回答が書いてあって、「まじめな人」
「優しい人」「努力する人」など・・・姉が見せたかったのは、欄外に書かれていたこんな回
答もありましたといういわゆる珍回答(?)。「うちのお父さんが書いていたのがここに載
ってる」と言ってさしたところにあったのはなんと「凡人」。「子供に何にも期待してない
のね〜。がっかりしちゃう」と姉は言ってましたっけ。

娘ができたとき、私は仕事が面白くなってきたときで、当時は新聞社で働いていたので早
番、遅番のシフトがあり(遅番だと帰るのが確か夜中の2時頃)、妊娠したと知ったとき最
初に思ったのは「困った」。私は皆と同じ条件で働きたかったので、妊娠したことは会社に
黙って遅番もやり続けようと思いましたが、夫は大反対。仕事は続けて構わないけど、遅
番だけは胎児に影響するから辞めてと懇願され、泣く泣く遅番からはずしてもらいました。
当時は育児休暇などという制度もない時代。出産休暇も通常、予定日の6週間前から8週
間後までで職場復帰です。もちろん産後職場に戻っても、ゼロ歳児を抱えながら遅番もこ
なして皆と同じ条件で働くことはできず、それはイコール、同僚から出遅れることを意味
しました。

子供がいるということは、当時、職場で働き続けるうえでは大きな障害でした。同じよう
に働きたい、チャンスをつかみたいと思っていた私が挫折感を度々味わったのは、子供が
できてからでした。一方で、子供はそのあどけない笑顔で、無邪気な行動で、たどたどし
いけど計算のない言葉でどれだけ私を幸せにしてくれたことでしょう。家から会社に直接
行っても1時間15分はかかりますので、延長保育にしても保育園が開いてから職場に向
かうのでは間に合わない。保育園は実家のそばに入園させて、朝早く15分かけて車で実
家に向かい、そこで子供を預けて、実家のそばの駐車場に車を置いて、電車で会社へ。娘
は実家のおばあちゃんが保育園に送り迎え。会社が終わると実家の最寄駅まで帰って、実
家から子供を引き取って車で帰宅。家のそばの駅の方が職場にずっと近いのですが、そう
いう回り道をして片道2時間かけて毎朝6年間娘を保育園と実家に預けて通勤しました。

前にも書きましたが、私は娘が3歳のときに離婚して、慰謝料も養育費ももらわなかった
ので、経済的に常に自分ともう一人を養っていかなければならないという重荷を背負って
いました。でも、それらすべての面倒を抱え込んでも、子供は仕事から帰って迎えに行く
と母親の顔を見た瞬間、うれしそうにちょこちょこ歩いてくる。それだけで仕事での疲れ
も、悩みもぱっと吹き飛ばしてくれました。小学校に入学すると朝バス停まで一緒に歩い
ていって、そこから私はバスに、娘はその先の学校に歩いて行くのですが、バスが車での
間、学校に歩いていく娘の後姿を毎朝ずっと見つめていました。愛するものを飽きず眺め
るというのは最高の癒しですね。

なので、私も親になって自分の子供がどんな大人になって欲しいかと言われたとき、ただ
一言「凡人」と書いた父の気持ちが分かるようになりました。特に立派で優秀である必要
もなく、何かに秀でて世間の注目を集めてもらう必要もなく、周囲にたたえられるような
職業についてもらう必要もなく、子供が成長して、一介の社会人として自分の足で生きて
いけるようになってもらえればそれだけでいい・・・子育ては成績のいい子に育てることで
も、一芸に秀でた才能を育てることでも、一流の学校に入れて一流の企業に勤めるように
育てることでもなく、まずは一人の社会人として、世間に迷惑をかけることなく、自分の
力で独立して生きていけるように育てることだと思うのです。もちろん、そのうえさらに
と子供に期待して育てたい人はそれでいいでしょうが、最近の問題の多くは、成績がいい
とか、有名校に入れるとか、そんな「余計な」ことを優先して、まず、大人になったら、
一人の社会人として親から独立して生きていけるという基本的なことをおろそかにしてい
るのではないでしょうか。

子育てはまさに手放していくことです。赤ん坊のときは四六時中親がお乳をあげたり、お
むつをかえたりしないと生きていけないとっても手がかかる生き物を、自分の足で立ち上
がり、巣立っていくようにすることです。鳥がひなにえさをやり、敵から守り、そしてい
つか成鳥になって飛んでいくことを教えるように。大事に大事に手塩をかけて育てた自分
の子を自分から巣立っていかせるために自分だけで羽ばたいていけることを必死になって
覚えさせる。巣立っていくことをまず先に教えないで、自分が望む学校に行かせ、自分が
望む職業につかせ、自分がこれが立派な人生だと思い描くような道を進むように育てるの
は子育てではありません。自分の夢を子供に押し付けているだけ。自分の夢は人にかなえ
てもらうのでなく、自分でかなえるようにしないとつまらないですね。