金融翻訳者の明けない夜明け

今日は二日ぶりの出勤です。といっても休みを取ったわけではなく、おととい、昨日と
二日続けて在宅勤務だったのです。通常は水曜日のみ在宅勤務ですが、昨日は午前中
私用で出かけなければならなかったので、在宅勤務に替えてもらいました。
平日、私は平河町のオフィスに出ていることが多いので、在宅の日には知り合いやら
銀行やら地元の業者やらとのアポを入れたり、訪ねてきたりで、オフィスで働いている
ときより忙しいくらいなのですが、別れるときには皆さん、私が家にいるものだから、
「じゃあ今日はごゆっくり」と言われるので思わず苦笑してしまいます。「今日は
ゆっくりどころじゃなく、私は勤務中なんですよ」と。

平河町のオフィスは小さなビルに入居しているのですが、どの階も同じ面積(つまり
小さい)なのに、どのオフィスもよく人がたくさん出入りしているのには驚かされます。
うちは働いているスタッフ(つまり翻訳者)の数はそれらの会社より多いと思いますが、
オフィスは最低人数で動かしていますので。

その代わり、私はもちろん、うちの翻訳者はほとんどどこにいても、職場にいるのと
同じ環境です。みな、会社のメールアドレス→自宅のパソコン→自分の携帯へと転送
されていくように設定しています。もちろん、家を不在にするときは家電も携帯に転送
してますので、どこにいてもつかまえられる(?)わけです。

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さて、私の1日ですが、朝、目を覚ますとまずチェックするのが携帯メールで転送
されている仕事関係のメールを確認します。昨夜夜半に納品されているものを確認、
今朝未明から入っている仕事の依頼、顧客への納品を確認・・・といううちに仕事用の
パソコンが置いてある1階に下りてきていますので、今度はパソコンを立ち上げます。
翻訳者から問い合わせがきていることもあり、携帯では読めない添付されたファイルを
パソコンで確認、翻訳者やクライアントに必要なメールもついでに送ります。それから
娘のお弁当を作り、朝食を作り、ゴミを出して、自分の身支度をして出勤(おっと、
家を出る前にもう一度、パソコンでメールをチェック)。バス→私鉄→地下鉄と乗り
継いで行くんですが、クライアントの金融機関は朝早くからもう動き出しているので、
移動中に仕事のメールが入ることもよくあります。私より1時間早く出社してくれる
スタッフがいるのですが、携帯への転送は寸時に入るので、その人より私が早くメール
を確認することも多いのです。車内での携帯電話はまずいので、携帯メールでクライ
アントに返事を書いたり、翻訳者に発注したり、どうしても急ぎ連絡取らなければなら
ない場合は、途中駅で下車して携帯電話することもあります。そうして私が会社にたどり
着くのは大体10時。先に来ているスタッフがそれまに入った依頼、送った納品など報告
してくれます。さあ、これから通常のオフィス勤務が始まります・・・

仕事を終えて会社を出るのが大体6時過ぎ・・・って仕事が終わったわけではありません。
ヨーロッパが朝を迎えていて、アメリカ市場も開くのですから、欧州初、米国発の仕事
がこれから入ってくるのです。在宅勤務でないときは、私は夜のシフトに入っていない
ので、帰りにちょっと買い物や友人と会って一杯飲んでということもありますが、その間
も仕事のやりとりはメールで逐一確認します。夜8時過ぎ帰宅するとパソコンを開けて朝
私が家を出てからたまっていたメールの大群を落とします。会社の代表アドレス、会社の
私用アドレスもプライベートのメールに加えて全部自宅のパソコンで受け取れるようになって
いるので、その数たるや・・・(しかも、そのほとんどは会社か移動中の携帯で既に読んだ
ものなので、既読のものはひたすら消す)。最近は高校生の娘が夕食の支度をしてくれて
いるので、一緒に食べて、お風呂に入って、夜の仕事がちゃんと流れていることを確認して
さぁ寝よう・・・としたら翻訳者から質問のメールが・・・またパソコンを開いて、原稿に目を
通して、質問に回答して、どうやら問題は解決・・・さて、12時も回ったし、明日朝から働く
ために布団にもぐり込み、果たして自分は勤めを辞めないでいたら今よりもっと自由な時間
があったかしら・・・などと振り返る余裕もなく、眠りにつくのです。

できるかできないかは自分が決めている

梅雨の晴れ間の暑い1日となりましたね。
お昼から戻って、机を整理していたら振込みを忘れていた請求書が・・・
3時弊店前の銀行に慌てて駆け込みました。(汗)
その途中、どこか見覚えのある方とぱったり。かつて同じ会社に勤めていた女性でした。
彼女もやはり転職して別の職場にいる様子。「うちの会社はこの近く、あそこのビルなん
です、今度良かったらお昼でも食べましょう」と言ったら「まあ、ご発展なんですね」と
驚かれてしまいました。

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私が何かやると言って、あるいはやって周囲に驚かれたことは一度や二度ではありません。
在学中にイギリスに留学すると決めたときや、20代で自宅を買ったときや、子供を抱えて
離婚を決めたときや、自分で会社を作ると決めたとき・・・
どれもこれも私には一生懸命やってきた流れの中で自然にそのように向かっていった
ことなのですが、周囲の人は「突然、無謀なことをやらかそうとしている」と思う
ようで、驚かれたものでした。
でも、そのどれも私はやってきたし、そもそも最初から無謀なこととは思っていません
でした。

親にはよく苦労したことないから怖さを知らないと言われましたが、私は新しいこと
をやろうとしたときはその都度それなりに苦労して頑張ってきたつもりなので、
苦労したことないとは思いませんが、確かに怖いとはあまり思わないようです。

話を戻しますと、今日ぱったり会った方は、前の会社では仕事に不満があったようで
よく辞める辞めると言っていました。後、勉強したいことがあるようで留学したいと
言っていました。私は仕事や人付き合いは本来好きな方なので、会社で働いて
いたときは、大体仕事が楽しく、辞めたいと口にする人が多いのは驚きでした
(しかも、そう言って辞めない人が多いのはさらに驚き)。
私も何度か転職しましたが、私は「辞めたい」と言ってたことはありません。
「辞めたい」と口にしたときは、辞めてました。(笑)

で、辞めたいと思い、辞めてやってみたいこともあり、それでも思い切れない人
にその理由を尋ねると、大体「もう年だから」、「新しいことに挑戦しても食べて
いけるだけ稼げるようになるか保証がないから」、「私の能力では無理だから」・・。
要するに成功すると保証がないことには飛び込めないというわけです。

これまでやったことのないことに初めて飛び込むわけですから、保証なんてある
わけがないし、そもそも保証のあることしかやろうと思わないとしたら、すべて
経験ずみの同じ生活の繰り返し。なんと退屈なことでしょう(少なくとも私はそう
思います)。

そう言ってあきらめちゃう人は実際にまだ何もしていないうちに、周囲の人がそう
だから、大体この年になったらこういう生活を維持するものだからと勝手に自分一人
で決めつけた枠組みの中で、自分の能力も可能性も制限してしまっているのです。

それから、現状は不満だけどやりたいことがないとか、チャンスがないと言っている
人たちも、同じように頭の固い人たちで、狭い枠組みにはめ込んで人生を眺めて
いるから、そもそもその枠組みから外れたことを思いつこうともしないし、その
流れがきているのにも気づかないのです。

その「枠組み」を世間では「常識」と言うのかもしれませんが、幸い私はそういう
ものが欠落しているようなので(笑)、多分、普通の人が思いつかないことをやって
みようと思ったり、実際、飛び込んでしまえるようです。

怖さがないと言ったらもちろん嘘になりますが、怖いと思う前に流れに飛び込んで
しまう。もし、これまで大きな障害はなかったけど、ずっと不満を抱えて生きて
きたと思う人は、自分にできるわけがない、とか、普通はやらないとか、そういう
「自分勝手」に決め付けてきた枠組みがないかどうか、それが自分の可能性を
いかに制限してきたかどうか、振り返ってみたらどうでしょう。
一度そういう枠組みに捕らわれない柔軟な考え方をしてみると、思っている以上に
自分は行動できるし、行動すれば変わっていくし、変われるチャンスやきっかけが
あるものだと気づくのではないでしょうか。

24時間働けますか?

今日も忙しい1日でした。私たちの金融翻訳の仕事は9時から5時だけ仕事をして
いればいいというものではありません。夕方東京市場が閉じると、アメリカの市場が
開け、ヨーロッパが開け・・・24時間地球のどこかで主だった市場が開いているので
すから、金融翻訳の仕事は朝晩関係なく飛び込んできます。

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昔、通訳ガイドという仕事をしていて、外国から来る観光客を連れて日本各地を案内
するのですが、忙しい年のある月は、31日のうち28日働いたことがありました。
もちろん通訳ガイドの仕事は机に座ってできることではありませんから、外国人の
お客さんと歩き、しゃべり、食べて飲んで、笑って、感動して・・・朝早くから夜遅く
まで働いて1ヶ月に28日間、よく働いたと思います。仕事は好きだし、体力には
自信がありましたけど。

でも、起業した最初の1年間ほど働いた年はありません。31日間のうち28日?
いいえ、365日のうち、本当に休んだという日は2日間だけ、大晦日と元旦だけ
だった気がします。

もちろん起業1年目は仕事がほとんどなく、実質的にお客さんに収めた仕事量は
今から比べるとものすごく少なかったにも関わらず・・・です。仕事があれば人手が
ないから自分が主体となってやる、仕事がなければ何とか仕事を取ってこようと
営業したり、あの手この手を考えたり・・・外国の雑誌のフリー記者をして副業で
稼いだりもしていました。資本金をどんどん食いつぶしていくような日々でした
から、銀行の残高が減っていくペースに駆り立てられるように、気持ちは
焦っていました。土日はオフィスは一応休みにしていましたが、気持ちは
寝ても覚めても休めなかった。いつも仕事のことが頭から離れませんでした。本当
に気持ちも休んだといえる日は2日だけだったのです。

会社に勤めていると、休み明けの月曜日に会社に行くのが辛い時がありますよね。
私も「休みは終わった、また1週間なんとか頑張らねば!」と自分を励まして会社に
向かうこともありました。ある時雑誌のインタビューで「自分で会社を始めて良かった
ことは何ですか?」と聞かれて私はすぐに「月曜日に会社に行く辛さがなくなったこと!」
と答えました。何せ仕事のことが四六時中頭から離れず、休みも気持ちは休んでいないの
ですから、月曜日になったからと言って特に辛いこともありません。でも、「じゃあ、悪
かったとこは?」と聞かれて私はこれも即答しました。
「金曜日に仕事が終わったときの喜びがなくなったこと」と(笑)。

自分の気持ちに素直に生きよう(2)

梅雨に入ってうっとうしいお天気が続いていますが、幸い土曜日は
晴れたので娘の体育祭に行ってきました。
娘はもう高3で、運動音痴な方なので体育祭で活躍する姿を見る
こともないのですが、やはり私が見に来ると嬉しいようなので
保育園6年間、小学校6年間、中学・高校の6年間と計18年間
毎年運動会、体育祭には足を運びました。

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起業しようと決めたとき、やはり一番の不安は経済的な問題でした。
私はまだ小学校入学前の娘を抱えていて、離婚して慰謝料はもちろん
養育費ももらわなかったので、自分と娘の生活は私一人の稼ぎに
かかっていましたので。
2月に会社を辞めて独立準備に入ったのですが、その前年の夏に
会社をやめて翻訳の仕事で独立しようと考え始めました。
ところが、特にその年齢の女性としては良いお給料ももらっていた
こともあり、その収入がいきなりなくなり、特に仕事をもらえるあて
もなく、一体二人が生活していける安定した収入が得られるほど仕事
が取れるのか、考えると不安で不安で毎晩眠れない夜が続きました。
「清水の舞台から飛び降りる」という言葉がありますが、まさに
そのような気持ちでした。

あるとき、実家の母を乗せて私が運転していると、母が「この前、
タクシーに乗ったら女性の運転手さんだった。お前は運転が
うまいからタクシーの運転手さんになれるよ」と、言いました。
母としては私が会社を辞めようと考えているとは知りませんでした
からほんの冗談のつもりだったのかもしれません。しかしその瞬間、
私は「そうだ、会社が失敗したら、タクシーの運転手になることも
できる」と思い気持ちがぱっと明るくなりました。もちろん、タクシ
ーの運転手さんだって責任のある大変な仕事で誰でも簡単になれると
いうわけじゃないのでしょうが、そのときの私は、失敗したらどうし
よう…なんて先のことをくよくよ考えていても仕方ない、それより、
子供を抱えて安定した仕事を捨てるのは、自分のわがままで子供も
リスクにさらすことになるのだから、失敗したら後は子供のために
生活費を稼ぐため何でもやってやろう!という気持ちになって、
初めて夜眠れるようになったのです。

人生で大きな岐路に直面したとき、これまでの生活や馴染んできた職場や
人間関係を変えることになるのですから、その恐怖ははかりしれません。
将来についてはもちろん確実という言葉はありません。
経済的不安、環境の変化に対する不安、周囲の理解が得られるかどうかの不安…
その恐怖で二の足を踏み、結局は行動することをあきらめてしまう人も
多いでしょう。でも、私はやはり「自分の気持ちに素直に生きる」と
いうことを優先してきたし、これからもできる限りそうしたいと
思っています。その際、これまで手にしていた色々なものをリスクにさらす
ことになるし、周囲の人(私の独立のときはまず自分の娘)にも
迷惑をかけることになるかもしれません。周囲への迷惑については
できる限り手を尽くして回避しないといけませんが、それでも
自分の気持ちに素直に従うことが、自分の人生という航海にとって
一番の追い風となるといつも思っています。

自分の気持ちに素直に生きよう(1)

今日も忙しい1日でした。もう少し仕事が減ってもいいかも…なんて思わず
ことをつぶやきそうになるくらい・・・ってこんなことを言ってはばちが当たります。
会社を設立して現在、12期目に入っているんですが、振り返れば設立当初は仕事が
なくて、当時、南新宿のマンションに1室を借りてスタートしたのですが、
古くて大きなマンションで、中庭があり、朝出勤するとそこに向かった窓を開け、
ベランダにいる鳩におせんべいをあげるのか日課でした。
なにせ仕事がなくて暇で暇で・・・

そういう設立当初の一番大変な時期からようやく今に至った12年間の
体験からこれだけは大切だと私が学んだことをブログに書いて、もちろん
これから起業を考えている人や、キャリア向上を目指している人、
子供を抱えて働いている女性(しかも私と同じシングルマザーとか)など
に読んでもらって励みにしてもらえたり、また初心を思い出して
自分自身も励ましたり、気持ちを引き締めるためにつづっていきたいと思います。

まずは起業のときのことから・・・
私はこれまでの人生で何度か大きな転機がありました。
女性にしてはかなり大きな転機を何度か体験している方ではないでしょうか。
その中でも起業は大きな転機のひとつでした。
大きな転機は私の場合、自ら仕掛けることが多いです。
もちろんそれまでの現状に飽きや不満がたまってのことです。
でも、それまで安定してきた生活や経済的基盤を揺るがすことになるのですから
決断するまでにかなり迷うことも事実です。転機が大きなものであればあるだけ・・・

でも結局、決断する。私にとってその決断の決め手になるのは、
それが正しいか間違っているか、周囲に評価されるかどうか、良いか悪いかなどではなく、
その決断が「自分の気持ちに素直に従うことかどうか」ということなんです。